大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和29年(行)50号 判決

原告 黒瀬甲平

被告 国 外二名

国代理人 鈴木伝治 外一名

主文

原告の被告国に対する訴を却下する。

原告の被告多田平、同タマに対する請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「一、被告国が被告多田タマに対し、昭和二十九年四月五日(昭和二十九年十月六日の口頭弁論において同年四月十二日と述べたのは誤りと認める。以下同じ。)、東京都港区芝南佐久間町一丁目十二番地所在木造亜鉛葺二階建三戸一棟建坪四十八坪(以下本件家屋という。)のうち、向つて左側二階八坪、階下八坪(以下本件家屋の一部という。)につきなした払下処分は無効であることを確認する。もし、右一の請求が認められない場合には、一、被告国が被告多田タマに対し昭和二十九年四月五日本件家屋の前記一部につきなした払下処分はこれを取り消す。二、被告多田平、同多田タマは、原告に対し連帯して金二十万円の支払をせよ。三、訴訟費用は被告らの負担とする。」旨の判決を求め、その請求の原因として次のとおり述べた。

一、原告はもと訴外門田嘉右衛門所有の本件家屋の差配として同訴外人に代つてこれを管理し、かつ右家屋内に居住していたところ、被告多田平、同タマが本件家屋の六畳室を何らの権原なく不法に占有し、居住するに至つたので、原告は同被告らに対し東京地方裁判所に仮処分の申請をし、ついで本件家屋明渡請求の訴を提起した。

二、その間昭和二十三年三月に本件家屋は所有者である門田によつて物納されたので、原告は同年中に関東財務局に対し居住者かつ管理人として本件家屋の払下申請書を提出した。正規の手続によれば、それは当然優先申請であつて本件家屋の適法な居住者である原告に払下げされるべきものであつた。

然るに被告多田平、同タマは右のように東京地方裁判所より仮処分を受け、また原告から家屋明渡請求の訴を提起され、かつ、原告が本件家屋の払下申請をしたので、同被告らはこのままでは本件家屋から立ち退かなければならなくなると考え、関東財務局吏員と共謀して不法にも原告が提出した払下申請書の名義を被告多田タマに変更して原告が最初に適法に申請書を提出して得た原告の払下受領権を違法な行為によつて奪つた。そして被告多田タマは昭和二十九年四月五日本件家屋の払下を受けた。右のように被告多田タマに対する払下処分は違法な原因に基いてなされたものであつて無効であるので、国に対し、本件家屋の被告多田タマに対する払下処分の無効確認を求める。もし右払下処分が無効でないとしても次の理由によつて取り消されるべきである。すなわち、国は払下事務を大蔵省官吏に委嘱し、同官吏は大蔵省払下規程の定めるところにより、適正、迅速、正当に処理すべきものであるから、本件家屋の払下につき、係官であつた八代大蔵事務官は払下規則および慣例上、優先の申請人を先にすることおよび適法な賃借権者であることに基き本件家屋は当然原告に払下をするべきにかかわらず、被告多田タマが原告から本件家屋の明渡請求の訴を提起され、また仮処分を受け、その異議事件において同被告が敗訴し、本件家屋につき同被告が賃借権を有しないことの判決があつて原告に対し明け渡さなければならないことになつていたなどの事情を知り乍ら、原告よりもおくれて申請をした後順位の同被告に対して前記日時に払下をした。それであるから、右払下処分は前記事務官が規程および慣例すなわち法例第二条に違反し、権限を乱用してなした違法な処分であるから取り消されるべきものである。よつて右払下処分の取消を求める。

なお、物納財産の払下行為は、これに関して適正、迅速かつ正当に処理すべきものであることが規定されているから、行政処分である。

三、原告は、前記のように当然本件家屋の払下を受け得べきところ、被告多田平、同タマらの共同不法行為によつてその払下受領権を奪われたために本件家屋の払下を受けることによつて所有権を取得することができるところの期待権を侵害され、得べかりし利益金三十万円を失い、右と同額の損害をこうむつた。また、被告多田平、同タマらは本件家屋の六畳室を不法に占有し、原告をして仮処分申請、明渡請求の訴の提起等の措置をとらざるを得ないようにし、それのみならず、原告がした本件家屋の払下申請書を被告多田タマの申請名義に変え、これによつて原告の当然払下を受け得べきであつた本件家屋の一部を不法に取得するなど、同被告らの共同の不法行為によつて原告は多大の精神上の苦痛をこうむつたので、これが精神的慰藉料として金三十万円と前記損害金三十万円との合計金六十万円のうち、被告多田平、同タマに対し、金二十万円の連帯支払を求める。

立証〈省略〉

右のように述べ、被告らの主張を争い、

被告国指定代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として次のとおり述べた。

一、原告主張事実中、本件家屋が門田嘉右衛門から物納されたこと、原告から関東財務局に対し本件家屋の払下申請(ただしその年月日は後記のとおり)があつたことおよび被告国が多田タマの申請によつて原告主張の日にこれを同人に払下をしたことは認めるが、原告が本件家屋の差配としてこれを管理し、本件家屋内に居住していたこと、被告多田平、同タマが本件家屋の六畳室を不法に占有しているとして、原告が東京地方裁判所に仮処分を求め、また、明渡請求の訴を提起したことはいずれも知らない。その余の主張事実は争う。

二、被告多田タマに対する本件家屋の売払の性質は私法上の売買契約であるから、仮りに同被告がした売払申請について原告主張のような行為があつたとしても売買契約すなわち売払の効力に影響はない。

三、物納不動産の売払の取扱方法については、特別の準拠法令はなく、各財務局の取扱方針に委ねられている。本件家屋の物納、売払については関東財務局で取り扱つたのであるが、同局物約不動産売払貸付実務要領によれば、建物とその敷地とが物納された場合は、その縁故者((1) 使用者、(2) 物納者)に優先的に売り払うことになつている。(もつとも、右は同財務局の内部的な一応の事務処理方針を定めたにすぎず、縁故者から売払について申出があれば必ずこれに応じてその者に売り払わねばならないという筋合のものではない。)本件家屋(三戸建)は昭和二十三年四月十三日門田嘉右衛門より財産税としてその敷地とともに物納されたのであるが、関東財務局において売払を計画中、昭和二十五年六月二十一日に原告、同月二十三日に訴外曽根清子、昭和二十六年十月二十三日に被告多田タマからそれぞれ同局に対し払下の申請があつたので、同局において調査をした結果、原告が門田嘉右衛門から本件建物を賃借し、そのうち公道より向つて左側の一戸を被告タマに、右側の一戸を曽根清子にそれぞれ転貸し、同人らはこれに、原告は奥の一戸にそれぞれ居住して使用している事実が認められたから、右三名の者に対し、その使用部分を売り払うべく計画中、原告と被告多田タマ間に同被告の使用部分の転借権について紛争があることを知つたが、それは売払後において当事者の解決するところに委ねることとして、原告の申請に対しては昭和二十九年三月二十四日原告の長男黒瀬利一名義で原告の居住部分を、被告多田タマの申請に対しては同年四月五日その居住部分を、それぞれ売り払つたのである。右売払については原告主張のような申請書の名義変更や売払担当官の不正行為の事実はなく、売払は適正に行われたものである。

被告多田平、同タマ両名訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。」との判決を求め、答弁として次のように述べた。

一、原告の主張事実中、本件家屋がもと門田嘉右衛門の所有家屋であつたことおよび被告多田タマが本件家屋の一部を国から譲り受けたことは認めるが、その余はすべて否認する。

二、原告はもと本件家屋をその所有者である門田嘉右衛門から賃料一箇月金五十円で賃借中、昭和二十年九月その一部である一戸を被告多田平に賃料一箇月金百円で転貸し、被告多田タマは同平の妻として同人とともに居住していたが、同被告らは昭和二十四年に離婚し、被告多田タマのみが引き続きこれに居住しているのである。そして門田は本件家屋(三戸建一棟)を物納によつて大蔵省に譲渡した。そこで、被告多田平と原告とが大蔵省に対して本件家屋の払下を出願していたが、昭和二十九年四月五日当時の居住者である被告多田タマが本件家屋の一部である一戸の払下を受けたのである。被告多田らは原告主張のように原告名義の払下申請書を変造したようなことはない。そして、物納財産である本件家屋を、国が原告と被告多田タマとのいずれの者に払下をするかは、法律上国の裁量に任されているのであつて、本件のような場合には払下当時の居住者である同被告に対し払い下げるべきである。

理由

一、まず原告は、被告国が物納財産である本件家屋につきその一部を被告多田タマに払い下げた行為の無効もしくはその取消を訴求するのであるが、この点に関する原告の主張によれば、本件家屋は昭和二十三年三月頃物納許可になつたもので、本件家屋の一部は、それ以前より引き続き、私人である被告多田タマが同多田平とともに居住(原告は不法占有である旨主張する。)しているものであるというのであるところ、被告国の主張によれば、右物納は財産税法によるものであり、その点については原告も明らかに争わないから、本件家屋の一部は国有財産法第三条第三項にいう普通財産に属することが明らかであり、従つて大蔵大臣は同法第六条および第二十条の規定するところによつてこれを売り払うことができる。

ところで、普通財産の売払は通常の場合私法上の売買と解すべきである。特に物納財産の売払については財産税法が物納による税の納付を認めた理由を考えてみると、納税者が現金を保有してはいないけれども、それ以外の財産を有する場合にこれらの財産を納付して金銭による税の納付に代えさせ、もつて納税者の納税義務の履行を容易にさせることにあると解することができるから、物納された財産は国においてこれを換価して歳入に充てることを唯一の目的として存在するものということができる。したがつて、前記国有財産法の定めるところにより大蔵大臣がなす物納財産売払行為は、単に代金を得て国の歳入に充てることのみを目的とするのであつて、それ以外に公共的見地においてその管理、処分につき監督する必要は全くないのであるから、右売払行為は、国がその優越的地位に基いて私人に対し公権力を発動するものではなく、国が買受人と全く対等の立場においてなす私法上の売買契約にほかならない。

原告は、物納財産の売払行為は、これに関して適正、迅速かつ正当に処理すべきものであることが規定されているから、行政処分であると主張するが、仮りにそのような規定があつてもその故に当然にその行為が行政処分であると解さねばならぬとは考えられないし、その他前記解釈を覆えすに十分な根拠がない。それであるから本件訴のうち、物納財産の売払が行政処分であるとして国との関係において国が本件家屋の一部を被告多田タマに対し払い下げた行為の無効確認またはその取消を求める部分は訴の対象を欠く不適法な訴として却下を免れない。

二、次に原告は、原告が取得した本件家屋の払下受領権を被告多田平、同タマに奪われたために払下を受けることによつて所有権を取得することができる期待権を侵害されてこうむつた損害の賠償を同被告らに対して求める旨主張する。しかし、物納財産の売払は行政処分ではなく、私法上の売買と解すべきであること前記説示のとおりであるから、原告は払下申請をすることによつて当然に売払を受けることができるわけのものではない。従つて、原告主張のように本件家屋の一部の売払を受けることによつて優先的にその所有権を取得することができる期待権というべきものは何ら存在する余地はないものというのほかはない。それであるから右期待権の侵害によりこうむつた損害の賠償を求める旨の主張はその前提においてすでに理由がない。

もつとも、被告国の主張によれば物納財産の売払については、各財務局の取扱方針に委されており、関東財務局の定めた物納不動産売払、貸付実務要領によれば、物納不動産はその使用者および物納者に優先的に売払をすることになつているというのであるが、すべて物納不動産は必ずまず右の者らに売払をしなければならぬとの趣旨の定めであるとは考えられないし、その売払の性質は私法上の売買と解すべきであることも併せ考えれば、原告が本件家屋の一部の売払を受けることによつて優先的に所有権を取得することができる期待権を有することの根拠となる定めとも解し難い。

三、さらに原告は、被告多田平、同タマは本件家屋を不法に占有して原告をして仮処分申請、明渡請求の訴の提起などの措置をとらざるを得ないようにし、また原告が提出した本件家屋の払下申請書を被告多田タマの申請のように同人の申請名義に変えるなどの不法行為によつて、原告がこうむつた精神的損害の賠償を求める旨主張する。

然し乍ら、加害者に賠償義務を負わしめるべき精神的苦痛とは、社会の合理的な一般人のこうむるべき精神的苦痛もしくは被害者の側に精神的苦痛を感ずるにつき特別の事情があり、かつそのような事情を加害者において知りまたは知り得べきものでなければならないと解するのを相当とし、単に被害者と目される者が精神的苦痛をこうむれば、そのことから当然に加害者たるべき者に対し精神的損害を賠償せしめることはできない。

右のような点から本件訴を考察すれば、原告が被告らの不法占有(かりに原告主張のとおりであるとして。)に対し、原告主張のような措置をとらざるを得なくなつたとしても、このことだけでは被告多田平、同タマらに対し賠償を命ずべき精神的損害をこうむつたとは考えられない。また、本件家屋の売払に関して損害をこうむつたとの主張は、被告多田タマに対する本件家屋の一部の売払が私法上の売買と解すべきであつて、原告はこれが売払を受ける期待権すら有しないこと前認定のとおりであることから考えても、被告多田平、同タマらにこれを賠償せしむべき精神的損害をこうむつたとは解し難いし、他に同被告らをして賠償せしむべきどのような精神的損害をこうむつたのか明らかでない。

要するに原告が被告多田平、同タマらに対し精神的損害の賠償を求める請求は、同被告らに賠償せしめることを合理的とする精神的損害の存在につき他に首肯するに足りる主張がない本件においては、棄却を免れない。

四、よつて原告の被告国に対する本件訴は不適法として却下し、被告多田平、同タマに対する請求はこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 近藤完爾 入山実 秋吉稔弘)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例